ベイビーステップ実践記

私の中での「言語化」のイメージを言語化してみたら

 

こんにちは、かなで です。(詳しい自己紹介はこちら

私の中で「考えを言語化する」ということは、自分の内臓を引きずり出してお皿に並べるような感覚でいました。

 

いやいや、話す相手がいちいち血肉を切り分けて「どうぞ」って言ってきても引くよね。ドン引きだよ。スプラッター ホラーだよ

 

じゃあブログ記事は?というと、自分のお腹から腸とかで繋がっている内臓がインターネット上に置かれているようなイメージでいた。

 

言葉にして客観視するとやばみが分かる。

逆に言うと、こうして言語化して自分からいったん離してみないとやばさに気づけなかった。

 

どうやら 言葉に重みを置きすぎている。

強いイメージを重ねすぎている。

 

別記事で情報発信について こうしなければならないという自分の中の 厳しい イメージがあることに気づいたが、多分その自分縛りと関係してしまっている。

 

もっとこう、さくらんぼ狩りみたいなライトなイメージにしたい。

 

せいぜい、手が届かないところにあるさくらんぼ を脚立に乗ってとってあげて、お皿に乗っけて「はいどうぞ」って笑顔で子供に渡すような

 

あるいは 家庭菜園みたいなイメージ。

なす トマト きゅうりを収穫してきて ちゃちゃっとお料理してお皿に乗っけて出す みたいな

 

そんな風に、お互いに負担の少ない発信の仕方にしたい。

かなで