内省の旅

答えのない命題と向き合う、静かな時間

こんにちは、かなでです。

先週、私の心を大きく揺さぶる出来事が立て続けに起こりました。お世話になっていた元上司の突然の訃報。30代の後輩がガンで手術を受けることになった話。そして、昔から知っている先輩女性ががんを患い、抗がん剤治療を始めたこと。

日常は、薄皮一枚の上に

健康で、当たり前だと思っていた日常は、まるで薄い氷の上にあるようだと感じました。いつその氷が割れてもおかしくない。

…これまで見てきた先輩発信者さんたちのケースだと、身近な人の不幸から「だから今を大切に、やりたいことをやる人生にしようと決意した」とか続くんだけど。
言葉を理解できるのに、私はどうにも気力が湧いてきませんでした。

ただ、ぼんやりと時を過ごす。

コーヒーを飲むとき、窓の外を眺めるとき、ぼーっと考え事をする時間。そんな風に、ただ日常を噛み締めて、味わって過ごしました。

過去の思い出をなぞったり。ああ、あの人テニス好きだったなぁとか、一緒に仕事したの楽しかったなぁとか。無理に抗わず、思考が流れるままに身を任せていました。

 

何もしない「静かな時間」が教えてくれたこと

この何もしない静かな時間は、決して無駄ではありませんでした。

「どう生きるか」「どう行動するか」という、答えのない人生の大きな問いを、ただ胸の中に抱いていました。

私が出した結論は「焦って答えを出そうとしなくていい、今はただ、この感情を受け止めるだけでいい」でした。

そのぼんやりとした時間も、大きな問いと向き合う、大切な旅の一部です。

もし、今あなたが「何もできない」と自分を責めているなら、どうか自分を許してあげてください。無理に行動を起こす必要はありません。

このブログが、私と同じように立ち止まってしまったあなたの、心の安らぎの場所になることを願っています。

かなで